2015年3月、シンガポール「建国の父」と言われたリー・クアンユーが、91歳で死去しました。同氏は、建国以来50年もの長きに渡り、首相、上級相、内閣顧問として国家を牽引し、産業無き島を発展させてきました。その結果、シンガポールの一人当たりGDP(国内総生産)は、世界トップ9まで上り詰めたのです。
しかし、この国の人口は、千葉県のそれ(620万人)と同程度の600万人弱と極めて少ないため、タイやインドネシアのような人口と産業を有する国々と同じような存在になる事は、難しいでしょう。ただし、この国は英連邦と中華圏双方に軸足を置く、グローバルな情報国家として発展した経緯もあり、中国・欧米とASEAN10カ国を繋ぐ、頭脳プレーヤーとしての存在価値を高めていく事は十分に考えられるでしょう。
それでは、本連載第2回目として、シンガポールの成長の軌跡を辿り、日本がそこから何を学ぶべきかを考えてみましょう。
▼目次
「ユニオンジャックの矢」と中華圏の交差点
シンガポールの人口は僅か540万人に止まりますが、その6割は、かつてこの地にいた「華僑」の子孫である「華人」で構成されています。従って、シンガポールは中国の文化圏にあり、経済的にも香港と共に拡大する大中華圏を支える主要な国のひとつとなっております。
一方、言語、教育、法体系などに関しては、歴史的に英国の文化圏に属しているため、英中の要素を取り入れた複合的な国家になっているのです。その上で、国を挙げた華語普及運動(Speak Mandarin Campaign)や英語による学校教育を通じ、中国標準語、英語、双方の能力の高い人材を供給している事が、シンガポールの国際センターとしての付加価値を高めているのです。
結果的にシンガポールは、ロンドン、ドバイ、バンガロール、シドニーといった、英連邦下の世界の成長都市を面で結び、矢に例えた「ユニオンジャックの矢」を構成し、その一翼を担う情報集積地となっています。この「ユニオンジャックの矢」が「中華圏」と交差する地こそがシンガポールなのです。今後は、中国・インドと言ったアジアの大国と、飛躍が期待されるASEANとを繋ぐ基点となり,更に重要性を高めて行くことになるでしょう。
進む観光・貿易・金融分野のインフラ整備
シンガポールは建国当初より、「ヒト」・「モノ」・「カネ」の集積を目指し、観光・貿易・金融に特化した都市国家作りへと邁進してきました。
まず、「ヒト」に関しては、前述したように、英語や中国標準語の能力の高い人材を供給するシステムを構築し、国際都市としての存在感を高めてきました。
次に「モノ」に関しては、マラッカ海峡に近接しているという特性を活かし、建国当初より港湾整備を進め、「アジアのハブ港」と称されるシンガポール港を作りました。同様に、「アジアのハブ空港」と称されるチャンギ空港を整備する事により、貿易により得られる利益を最大化してきたのです。
更に、これらの物流インフラの環境整備に加え、安全・安心・清潔な都市としての評価が加わった結果、シンガポールは、世界における都市別旅行者数においては、香港に次ぐ世界2位の地位を築くことができたのです。
最後に、「カネ」に関してですが、中央銀行にあたるシンガポール通貨管理庁の設立や、オフショア市場(非居住者向け国際金融市場)の創設を通じ、金融立国化が推進されました。この過程で、税制・通信など金融インフラが整備された事も手伝って、欧米企業の地域統括子会社がシンガポールに置かれるようになり、アジアを主導する国際金融センターとしての地位を確立してきたのです。
まとめ
シンガポールは、他国にはない文化的、地理的な特性を活かし、戦略的に国家運営を行った結果、国際化に成功し、世界の観光・貿易・金融の中心地として発展してきました。
一方、成長に陰りが見えてきた日本においては、東京が中心となり、シンガポールのような観光、貿易、金融立国を標榜し、アジアにおける金融センター、情報センターを目指すことは、ひとつの選択肢となるでしょう。
日本が、開かれた国へと変わり、アジアにおける頭脳プレーヤーとして、情報化、国際化を目指すに当たり、シンガポールにおけるヒト・モノ・カネの活用法に、学ぶべき事が数多くあるのではないでしょうか。