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アメリカの保護貿易化により、通商の枠組みは大きな曲がり角へ
5月26-27日シチリア島タオルミナで先進国首脳会議(G7サミット)が開催された。ある程度予想されていたとはいえ「米国第一」を掲げ保護貿易主義に傾斜するトランプ米大統領と自由貿易主義を前提とするその他6か国首脳との間で意見の不一致が露呈された。特に地球温暖化対策へのスタンスの違いに加え、貿易赤字は米国の経済の損失につながると考えるトランプ大統領が報復関税を持ち出すなど各国間の足並みの乱れが目立った。G7サミットは1975年に仏のランブイエで行われて以来40年余りを経過したが、これまで一貫して政策協調を念頭に進められてきただけにG7サミットそして世界主要国の力学が大きく変化したことは否めない。
一方、このサミットに先立つ5月21日にハノイでは、米国を除く環太平洋連携協定(TPP)参加11カ国が米国抜きで協定を前進させるため閣僚会合を開催した。米国はトランプ大統領が就任直後に長年の労苦の末合意形成されたTPPからの脱退を表明しているが、その対応として11カ国は「TPP11」と呼称を改め今後の対応を協議した。その結果「早期発効に向けた具体的な選択肢の検討を開始する」と継続審議の声明を発表した。
11か国の中には米国の離脱を受けて後ろ向きともいえるスタンスを示す国もあったが、最終的にTPPの解体を回避する考え方が堅持され、11月のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会合までに検討作業を終える方針を明らかにした。日本も当初は米国抜きのTPPに消極的だったが、米国内の産業界にTPP待望論が根強いことを受け積極姿勢に転じた。
このように世界の通商の枠組みは今大きな転換期に入っている。つまり昨年の英国のEU離脱(ブレクジット)および米大統領選の二つの事件を通じて戦後70年に及ぶヒト・モノ・カネの移動を自由にするグローバリゼーションが大きな曲がり角に立つことになった。つまりグローバリゼーションを土台とした国際政治・経済システムが崩壊の危機に追い込まれたと言っても良いだろう。
今後、反グローバリゼーションの高まりを背景にした米国の保護貿易化は中国が台頭するアジアの通商さらに安全保障に大きな影響を与えることは避けて通れない。ついては以下に米国の保護主義化によるアジア太平洋への影響、とくにTPP11およびASEANの行方について以下考えてみることとしたい。
アメリカにおける保護貿易主義台頭の必然性
そもそも自由貿易主義について、その利点はこれまで多くの経済学者により研究されてきた。その先鞭をつけたのは18世紀に「諸国民の富」を書いたアダム・スミスで、保護関税や産業保護を優先する重商主義を批判し、貿易の自由化が経済成長をけん引し、さらに戦争の可能性を減少させると主張した。またもう一人はスミスの自由貿易論を発展させたデビッド・リカードだ。この英国の学者は、自由貿易を進めると各国で最も優位な産業の生産性が高まり、国際的な分業が進むとした。つまりこの「比較優位論」が実現される世界は合理的かつ効率的な成長を実現すると唱えたのである。
このような学問的裏付けに加え、1930年代のブロック経済が第二次世界大戦の原因の一つになったとの反省が、戦後の自由貿易体制の出発点となった。つまり大戦後の世界は英米2か国が先頭になり自由貿易を希求してきたのである。とくに1980年代にサッチャー英首相とレーガン米大統領が進めた規制緩和と一体化した貿易自由化がその原動力となった。この自由化の流れの中で政治的にはEU統合が進み、さらに「世界の工場」である中国を軸に国際分業体制が構築されたのである。
もともと自由貿易の追求は、国内で弊害が生じる点が指摘され、それぞれの国においては産業保護など手当が図られてきた。しかしここにきて、世界では格差が進行する一方で、米国や英国の労働者層はグローバリゼーションの恩恵を感じにくくなっており、格差と移民問題への不満がもはや許容範囲を超えたと言うことだろう。
特に自由貿易を推進してきた英国において、国民国家への回帰を求める声がドイツへの反感と主権回復への熱望に発展し、ブレクジットへと国を動かした。また米国においても中国からの輸入増大により100万人単位で雇用が失われたと言われるなど、自由貿易の犠牲者となった白人貧困層の不満の声が高まった。つまり、仏の歴史学者エマニエル・トッド氏の言う「グローバリゼーション・ファティーグ」(グローバル疲れ)が世界中で蔓延していると言うのが現在の先進国の実情である。
”自由貿易”の旗を降ろしつつあるアメリカ
この環境下、米国民特に白人労働者の期待を受けて登場したトランプ大統領は、TPPや 環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)を葬り去り、そして1994年に発足した北米自由貿易協定(NAFTA)をも狙い撃ちしている。その結果、メキシコに進出した自動車産業に対する高率の輸入関税や、さらにはG7において報復関税の可能性をちらつかせるなど反保護主義の動きに対しけんか腰とも言える対決姿勢を示している。
つまり保護主義の進捗にしたがい、各国は関税を引き上げ、そしてそれに対抗すべくさらに高率の関税をかけるという報復関税が横行し、加えてアンチダンピング(不当廉売)措置の連発など最悪のスパイラルが展開される可能性が高まってゆくことになる。
現在の反グローバリゼーションの遠因は、中国の低コストの労働力だったと言っても良いだろう。これは、日本ではデフレ不況の一因となり、また米国では白人労働者の雇用環境を悪化させた。このような状況を脱するために自由貿易を前提にして世界の通商システムの再構築が図られなければならないが、反グローバリゼーションの潮流の中ではその道のりはより遠くなったと言って良いだろう。
アジア太平洋における通商の未来
アジア太平洋において軍事的な対立が米中間において存在している。さらに、過去四半世紀において中国経済の膨張と人民元圏の拡大により経済面でも米中の対立が際立ってきた。つまり、アジア諸国は年々中国経済への依存度を高める一方で、安全保障は米国に依存する状態となっており、アジアは米中の綱引きの真っただ中にあると言える。したがって、オバマ大統領のTPP構想の狙いは中国に対抗する経済圏の確立であり、中国に対する戦略的かつ重要な一手として考えられてきたのである。したがって米国のTPP離脱はアジア太平洋でのプレゼンスの低下に直結し米中の力学が変化することは避けがたい。
実際、東南アジア諸国連合(ASEAN)10か国を見ると中国との距離は様々だ。ラオス、カンボジア、ミャンマーが中国に接近し、タイやフィリピンなども中国の影響を強めている。そのような中でベトナム、マレーシア、シンガポール、ブルネイの4か国は中国さらにはインドなどと距離を置きTPPへの参加を望んできた。
このような環境下、TPP構想が頓挫した現在、アジア太平洋において人民元経済圏が今まで以上に拡大する可能性が高まったと言ってよく、その意味でもTPP11がどのように存続し、中国とどのような関係が構築されるのかが注目される。その行方とともに関心を集めるのが中国主導の東アジア地域包括的経済連携(RCEP)だろう。
このRCEPは、ASEANをハブとして日本などアジア主要国が参加し、オーストラリア、ニュージーランドを通じて太平洋にもつながる構想である。RCEPを巡る交渉は13年5月に始まり、16年の可能な限り早期に妥結し、関税を撤廃する品目の割合(自由化)を高める、との枠組みで合意している。現状そのスケジュールは遅れているが、今後RCEPは新興国主導の国際秩序構築をめざす試みとして、またアジア経済圏の拡大と深化に貢献するものとなる可能性を有する。そしてアジアを含め世界は、米国一極集中体制から中国をリーダーとした新興国が主体となるパラダイムへと大きな一歩を踏み出すことになるのではないだろうか。
難しいかじ取りが求められる日本
このようなアジア太平洋における米中の対立構造の中で重要となるのが経済・通商面における日本の存在であり、特に金融面におけるアジア開発銀行(ADB)そしてアジアインフラ投資銀行(AIIB)が果たす役割だろう。その点で、5月4-7日に横浜で開催されたADB50周年記念総会が注目された。アジアからの参加者からすれば、国際情報センターとして経済社会の1つの理想形としてシンガポールとならぶ日本を強く意識することになっただろう。したがって、日本そして日本企業は、こうしたアジア諸国の日本への期待に応えるべくASEANの企業・金融機関との協力の範囲を拡大するよう努めるべきではないだろうか。
そして目下、米国とともに日本が参加を見送っているAIIBだ。すでにシルクロード構想などを通じて中国がアジアさらに欧州・アフリカへの開発を本格化させる中で、AIIBの役割はADBと競合するだけではなく補完することも間違いない。その意味でも日本はAIIB参加を頭ごなしに否定するべきものではない。実際、日本企業にとりアジアの開発プロジェクトへの参加の可能性が拡大することは間違いないだろう。
まとめ
アジア太平洋の通商問題は北朝鮮の核問題や、南シナ海の軍事問題などとともに重要な課題である。こうした問題について米国が戦略遂行にあたり、TPP11およびASEANは貴重で友好的なパートナーであることは間違いない。したがって、トランプ政権が続く限りは米国の積極的な参画は期待できないかも知れないが、将来を見渡せばアジア太平洋における通商問題の重要性を米国は再認識する可能性もなしとしない。さればアジアの主要国である日本および日本企業は、米国不在の状況において、TPP11およびASEANとの関係発展に向けて積極的に重責を担う必要があるのではないだろうか。
(2017年6月2日)
【プロフィール】
ネクスト経済研究所代表 国際金融アナリスト 斎藤 洋二氏
大手銀行、生命保険会社にて、長きに渡り為替、債券、株式など資産運用に携割った後、ネクスト経済研究所を設立。対外的には(財)国際金融情報センターにて経済調査ODA業務に従事し、関税外国為替等審議会委員を歴任した。現在、ロイター通信のコラムを執筆、好評を博している。