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東アジアシリーズ【第1回:台湾編】「一つの中国(One-China policy)」の行方

      2016/03/01

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2015年11月7日、シンガポールで習近平主席と馬英九総統による中台首脳会談が行われました。1949年国民党・蒋介石が共産党との内戦に敗れて台湾に敗走して以来66年。対立と緊張を深めてきた両国の関係も世界の国際政治情勢の変化とともに変わりつつあるということでしょう。とはいえ両国の関係はこれまでの分断の歴史があるだけに、これを機に一気に融和の方向へ動きだすと楽観的になれるわけでもないようです。

現在の東アジアは中国の巨大化にともない、周辺にある日本はじめ韓国、台湾、香港の対中関係が変質しつつあります。つまり経済的に依存関係を深めつつも政治的な緊張が強まり、さらに米中二大国のにらみ合いも加わって微妙な動きを見せているのです。

それではこの「東アジアシリーズ」では全6回にわたり台湾、香港、韓国の実情を探りながら東アジア情勢について考えてみることにしましょう。

 

中台対立の歴史

中国と台湾の対立は1921年の中国共産党結成に始まります。当時、大陸では軍閥が割拠しさらに日本が勢力を拡大していました。この状況下、孫文らの国民党と共産党は協力と対立を繰り返しました。そして1945年の第二次世界大戦終結を機に両党の対立が激化したのです。

1949年に国民党・蒋介石が共産党との内戦を経て大陸から台湾へと敗走しました。それ以降、台湾の総統は蒋介石から蒋経国、李登輝、陳水扁、馬英九と変わり、中国の指導者も毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤そして習近平へと変わりました。

一方、東西冷戦下において西側諸国は台湾が中国を代表する政府だとしていたのですが、中ソ対立を背景に米中が接近したことから状況が一変しました。1972年のニクソン米大統領の電撃的訪中、1979年の米中国交回復を経て米国は台湾と断交しました。また国連の代表権も中国にわたり、台湾は国連から脱退しました。

とはいえ80年代以降、鄧小平が平和統一をめざして交流を呼びかけたり、李登輝が対話を進めたりするなど、少しずつですが両国が接近し、経済交流が進められてきました。

 

中台首脳会談と「一つの中国」

そして2015年11月7日、シンガポールで習主席と馬総統による中台首脳会談が行われたのです。今回の会談は、大陸でも台湾でもなく第三国が会場に選ばれ、会場に両国旗は掲揚されず、また互いを「主席」「総統」と呼び合わず「先生」と呼びあいました。

「先生」とは「おじさん」「Mr.」と言ったもので、レストランの店員やタクシーの運転手などにも使われるものです。現在のお互いの微妙な立場をよく表しているといえるでしょう。

今回の会談は両者それぞれに思惑があったとされています。南シナ海さらに東シナ海で米国との対立を深めている中国にとっては、台湾海峡での懸念を薄め米国をけん制したかったと思われます。また「中華民族の偉大な復興」を掲げる習主席としても、このスローガンに向けて一歩を踏み出したかったと言えるでしょう。

一方2008年から8年間総統に在職し、来年1月の選挙では民進党に政権移譲が確定的な国民党・馬総統にとっては、中台接近のレガシー(遺産)を残したかったのではないでしょうか。

いずれにせよ、今回の会談の背景には「一つの中国」つまり「大陸と台湾はひとつの中国に属し、不可分である」との考えがあります。これは「1992年コンセンサス」とも言われるもので、これを踏まえて大陸と台湾は20年にわたり経済交流を活発化させてきたのです。

ただその定義については両者が都合よく解釈しており、食い違いが鮮明に残っています。つまり中国は「中華人民共和国」を、そして台湾は「中華民国」を正統政権と主張したままなのです。このようにそれぞれの認識する「現状」は全く異なっているのです。

日米両国は公式発言においてこの会談を歓迎しています。ただ台湾が中国に接近し過ぎれば海上交通路(シーレーン)の確保など安全保障上の脅威となる点で警戒感が強まることも考えられます。一方、米国も台湾が中国に接近すると東アジアのパワーバランスが崩れることを懸念しています。

 

まとめ

2016年1月の選挙で民進党政権が誕生すれば再び台湾独立論が高まることとなるのは必至で、中台関係は緊張を増す可能性が高まります。これまでの長い分断の歴史を超えて、融和に向けて進展するにはまだ今後も紆余曲折が予想されます。

 

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